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日記的な

日記だよ!でもアメリカに住んでる→日記なのに日付がずれる!→こまけぇこたぁいいんだよ!

不謹慎狩りと昂ぶりという名の正義感

Diary Miscellaneous

火曜日。まだ火曜日か。もう木曜あたりでも良い気がする今日は、溜まっていた食器を洗って片付けたことがハイライトでした。Champions Leagueの準決勝Bayern Munich vs Atletico Madridもいい試合だった。Atleticoは本当に強い。シメオネが監督になってからの強さが尋常じゃないのはなぜなのだろう。上手い選手が揃ってるといえばそれまでなんだけど、それ以外にも理由があるはず。今度暇な時に強さの秘密を調べてみようかしら。

 

今日は似たような話題を取り上げた記事を2つ見かけた。最近話題の、特定の人の行動を不謹慎だと勝手に判断してその人に罵言雑言を浴びせる行為が不謹慎狩り。最近の震災関連や芸能人の私生活などのコンテクスト上で見られることが多い。今日はこの話題にクローズアップ現代

 

ネットが普及してみんなSNSなどで自分の気持や考えを表現する機会が増えた。人間なら誰しも正と負の感情がどちらもあることは当たり前だが、良好な社会関係を築こうと思ったら負の感情はなるべく他人に見せないようにするのが当たり前だったように思う。そりゃあ人間誰しも嫌いな人はいるし、お前それは違うだろって声を上げたくなることはあるが、面と向かって頻繁に他者を罵倒したり説教したりしていては自分自身の社会生活が脅かされる。なので現実世界では嫌いな人と接触する距離をとったり、取っ組み合いの喧嘩にならないようにオブラートに包んだ表現で他者に意見したりするのが当たり前。しかし最近は、ネットで何かを発言した人にすごく直接的な表現で罵倒したり、知り合いでもなくまったく利害関係もない相手に対して負の感情をぶちまけている場面に出くわす。そして現実世界で面と向かって他者には絶対に言わないような言葉のチョイスも散見される。面と向かって人に言わないようなことはネットの中だろうと宇宙空間だろうと言わないべきだと私は思う。そして議論と罵倒は明確に違う。この世の中にあることで議論すると大体のことは白か黒かにはならず、必ず両サイドが妥協する落とし所がある。しかし誰かを罵倒する時には、自分の側に絶対的な善があって相手側は絶対的に悪だという認識に基づいている。

 

そういった行き過ぎた正義感を東京ポッド許可局の3人は「昂ぶり」と表現していて、すごく的確な表現だと思った。その「昂ぶり」がエスカレートして不謹慎狩りになっているという。昂ぶってる状態で他者を非難して少しでも気分がすっとすると感じたら、それは間違った正義の方向に行きすぎている可能性がある。これは誰でもそうで、自分のやり方や考えに他者を従わせることが出来た時には、ある種の優越感を感じることが私にもある。でもそれは自分が神様でもない限り、全部が全部正しいことは決して無い。そして私は、この「昂ぶり」は嫉妬心をからも生まれるということを永江さんの記事を読んで納得した。「昂ぶり」を間違った方向に向かわせないために必要なことは謙虚さで、それは現実世界でもネットの中でも必要なこと。というか、ネットと現実で態度を変えることは、本人含め誰の得にもならないと思うのは私だけだろうか。実名だろうが匿名だろうが、言わないほうが世界を平和に保てることは言わないでいこうぜ。

 

また私は、百歩譲って誰かの発言が本当に不謹慎だとしても、それを「皆さんも不謹慎だと思いませんか?」と拡散させていく様は異様だと思う。もちろん、倫理的に間違っていることや何らかの危険性が伴う誤報などは警鐘が鳴らされるべきだと思うけど、一億総ツッコミ時代的にみんながみんなその役割を担わなくてもいいんじゃないかと。「人の振り見て我が振り直せ」っていうことわざが出来た場面では、きっと他人の振りを見て我が身を省みただけで、その人にわざわざ意見したり非難したりはしなかったんじゃないかなと私は思う。

 

昂ぶって正義を振りかざした先に出てくるものが美談で、「だから美談は気持ち悪い」と言ったサンキュータツオさんには、そういう側面もあるよなと激しく同意したい。