この世のドアは全部引き戸にして欲しい
木曜の今日もいつも通り仕事ですね。もうすぐ9月も終わってしまう。日本に遊びに帰る日が来るのはもうすぐ。昼は職場からすぐのとこでChili Dog with Nachosを食す。信じられないくらいジャンクフードだけど$2.68とかゲロ安。ここの飯にうちの家計は救われている。
いつも通り仕事を終え適当に家で晩飯。少し読書をして本日も閉店。そういえば池波正太郎の男の作法読み終わった。
うなぎ屋でのめしの食い方とか瓶ビールの飲み方とか細かいことをつらつらと語ってる部分はまぁ好きにすればいいんじゃねって感じ。自分の時間と同様もしくはそれ以上に他人の時間は大事にしなさいよ、っていうのはまさにその通り。人を待たせるとかってやっぱりすごく失礼だし、そこに気を使ってる人はやっぱり他人を待たせるとかゼロじゃないけど全然しないよね。大なり小なりハプニングはあるしどんな人でも遅刻することはあるけど、時間に遅れて来る人は結構な頻度で遅れるし、遅刻しない人は全然しない。それは意識と他人への気遣いの差かなと思います。うまく表現できないけど、他人を待たせない人は出掛けるまでの準備に「他人の時間を無駄にしない」って意識がにじみ出てる気がする。学生の時とか社会人になってからも、グループで行動するとき遅れてくる奴ってだいたいいつも一緒だった気がする。というか子供の時は、自分を含め結構な奴らが遅刻するのはカッコいいと思ってたフシがある。そう思わなくなることは大人になる一つの階段だったかもしれない。
食べもの屋のおやじが、たとえ若いとは言ってもこっちが客でしょう、その客に対して何か偉そうに注意してけしからんと、腹を立てる人が多いかもしれない。だけど、何度も言うように、
「人間は自分のことはわからない...」
ものなんだ。だから、他人が言ってくれたことはやっぱり素直に聞かないとね。
大賛成。
しかし、
西洋式の普通のドアじゃなくて引き戸が正義!って意見がこの本のハイライトでした。これマジ。アメリカ、嘘だろってスペースにドアあるから。廊下にある洗濯機のスペースとか、ドア開けたら廊下通れなくなるから。